石見銀山の価値

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大久保長安墓所

1600(慶長5)年に石見銀山を支配した徳川家康は、銀山の管理に、鉱業の熟練した管理者であり専門家として知られる大久保長安を任命しました。彼は、本人の名前を冠する大久保間歩を始め、銀の産出が豊富な坑道を複数開発し、銀山最大の繁栄期の基礎を築きました。

家康は長安の手腕を高く評価し、佐渡島(現在の新潟県沖)や伊豆(静岡県)の金鉱山など、貴金属が豊富な鉱山の管理も任せました。

長安は69歳でこの世を去りましたが、その際には実際の遺骸の埋葬地というよりも記念碑としての立派な墓が、すでに国内に複数建てられていました。しかし長安の死後、彼は横領と謀反の嫌疑をかけられます。長安の7人の息子と部下は自害を余儀なくされ、財産すべてが押収されました。この告発は政治的な陰謀であった可能性ともいわれますが、いずれにせよ彼の記念碑は取り壊され、あるいは見向きもされなくなりました。

時を経て1794(寛政6)年、鉱山の復興を願う人々によって墓石と功績をたたえる記念碑が立てられ、今に残ります。