石見銀山の価値

石見銀山調査研究所

発掘調査

調査地点マップ

長期間の発掘調査が必要

「この遺跡の発掘は最低でも30年かかる。」これは1996年、ユネスコの世界遺産登録に向けた石見銀山遺跡総合調査が開始されることになり、現地を訪れた奈良国立文化財研究の田中琢所長(当時)、が、取巻く新聞記者や関係者に最初に語った一言です。すぐにでも「世界遺産の価値あり」との言葉を期待していたのに「なぜ30年も?」と、驚きを隠せない記者さんたち。なぜなのか。その理由は、発掘調査は、大規模かつ重要な遺跡ほど長い年数を必要とするからです。日本国内では、奈良県の平城宮跡や福井県の一乗谷朝倉氏遺跡など、長期間にわたって調査が継続されています。つまりその一言とは、「大変重要な遺跡の一つだ」という意味であり、「腰を据えて調査に取り掛かる必要がある」という発信でもあったのです。

ではどうして長い期間が必要なのか。それは、遺跡から得られる情報は、類例と検証を積み重ねなければわからない性質があるためです。調査の成果から一定の解釈をし、それをあらためて発掘調査や考古資料調査に反転、解釈をさらに検討していく、そうした作業の積み重ねが必要だからです。

発掘調査とは ~ 石見銀山 発掘・発見物語 ~

発掘は、長い時を超えて遺構や遺物が見つかる瞬間の連続です。そこには前例がないことも多くあります。その瞬間から調査担当者は、“これは何か”“何の痕跡か”そして、“なぜそうなっているのか”、これを解き明かすという、現場での「苦闘」が始まります。
状況を子細に観察し、思索し、仮説を立てて、たまった土を、まるで薄皮をはがすように丁寧に取り除く。その都度、状況を写真に収めて、あわせて精緻な記録図面を作成する。それが発掘調査です。

調査担当者は、その過程を調査日誌に毎日書き残します。日誌には、現場に誰が来てどんな解釈が試みられたのか、なども記録されます。それにならって、石見銀山の発掘現場で、どう現場を解釈し、専門家から何を助言されたのか、そして、どのような価値を特定しえたのかを紹介していきます。

本谷(ほんだに)地区

①岩盤加工遺構の発見
本谷地区の調査は、世界遺産登録が近づきつつあった2003(平成15)年から行われました。世界遺産の登録に際しては、事前に国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による現地調査が行われます。石見銀山遺跡総合調査が1996(平成8)年に開始されてから数多くの調査成果を積み重ねてきた調査陣でしたが、現地を実際に見て遺跡の本質が理解されやすい場所を選び、調査によって顕在化しておくことも必要でした。
調査着手に際しての事前協議で「どこを掘ったらいいか」との田中委員長の問いに対する返答は、「本谷地区です」でした。その理由は、遺跡の現地案内を何度も受け入れるうち、多くの見学者から「石銀地区より、こっちのほうが見ごたえがある」との客観的な意見が多くあったことによるのでした。

島根県と大田市の調査担当職員で踏査を行い、試掘坑(トレンチ)の場所を決めて着手。本谷地区の釜屋間歩周辺では木々が鬱蒼としており、それらを掃う必要がありました。
間歩手前右側に石段が数段見えていましたが、草木を取り除くとさらに上に続いています。上へ上へと取り除いていくと、高さ20m近くまで岩盤を彫り込んだ石段が姿を現しました。その周辺をさらに岩盤を露出するように草木を掃うと、岩盤を平坦に3段に加工した遺構が姿を現したのです。周辺の草木の間からは岩盤が続いていることが窺え、この一帯が、かつては岩盤がむき出しになった、往時の鉱山景観を示す場所であることがわかったのでした。

②「貴鉛」発見
釜屋間歩の向かい側のトレンチで出土した遺物を見たときのこと、「これ、もしかしたら」と思った遺物がありました。500円玉ぐらい大きさで土にまみれた塊。重量が感じられたのです。それは、以前に出土した灰吹銀の重さに似ており、「金属ではないか」と直感したのでした。少し土を取り除くと白色がかった銀色をしています。それ以上、土を取り除くのはやめて科学分析調査に委ねました。分析結果は、鉛約85%、銀約15%からなる銀と鉛の合金とのこと。「貴鉛」の発見でした。
江戸時代、石見銀山では銀を鉱石から取り出す方法は、銀と鉛の合金を作る工程でケイ酸やアルミナなどが取り除かれ、次の工程で鉛を取り去れば銀だけ残るという灰吹法が行われてきたとされていました。16世紀に大陸から石見銀山に導入されたこの灰吹法は、国内各地の鉱山に広まったことで、戦国時代の日本が「銀の島」と呼ばれるほどの産銀国となった石見銀山の大きな価値の一つです。

現代でも灰吹法は行われており、生成される銀鉛合金は貴鉛と呼ばれます。貴鉛に鍵括弧を付けて表記している理由は、貴鉛という用語が江戸時代には使われていなかったためです。歴史文献で貴鉛を指す言葉は床尻鉛とあります。文字通り、床(炉)の中に生成される銀を含んだ鉛とでもいうべきものとわかったのです。
「貴鉛」の発見は、石見銀山で灰吹法が行われたことを示す物的証拠であり、世界遺産の価値証明の記載において、価値基準のⅲ「考古学的遺跡がよく留められている」の根拠の一つとなったのでした。

③「謎の岩盤加工遺構」と「自然との共生」
 釜屋間歩周辺での委員会視察、注目は「貴鉛」にありました。視察も終わりかけたその時、「貴鉛よりもこっちがおもろい。」と田中委員長。傍らに最後まで残っていた地元紙の記者がすかさず「何が、でしょうか?」。「この岩盤を削った場所だ。どうなっているのか謎だ。だから『謎の岩盤加工遺構、発見』、と記事に書け。」
こうして命名された釜屋間歩周辺の『謎の岩盤加工遺構』。迫力あるこの景観は、2005(平成17)年に開催された「顕著で普遍的価値に関する国際専門家会議」の国内外からの参加者や、2006(平成18)年に行われた国際記念物遺跡会議による現地調査の際の見学ポイントとなりました。山の草木を取り除けばこのような岩盤が広く展開していること、そして数多くの採掘跡が残ることが、容易に想像されるからです。

この景観をめぐっては、次のような検討もありました。「本谷地区は鉱山景観の一部が現れてはいるが大部分が草木に覆われている。それを文化的な景観と呼んでいいだろうか」。これは、登録推薦書を作成する専門家の委員会で投げかけられた、ある委員の問いです。石見銀山は文化的景観として世界遺産の価値づけが可能との見解をもとに重ねられていた、推薦書の記載内容をまとめるための専門家会議の議論でした。
そこで発言があったのは青柳正規委員でした。「鉱山でも自然が回復し、今や緑に覆われたこの状態がアジアの循環型の文化を表象している。」と。さらに、「収奪も含めた富の集積ともいえる絢爛豪華なヨーロッパの「蓄積文化」に対し、アジア、特に日本の文化的な特質は「循環文化」である」とされたのです。
この議論によって、後に世界遺産登録直前の価値説明で重要なキーワードとなった「自然との共生」を推薦書に記すことになったのでした。