石見銀山の価値

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大久保間歩

大久保間歩は石見銀山最大級の坑道で、現在公開されている二つの坑道のうちの一つです。

大久保間歩は、同銀山で最も徹底的に採掘が行われた部分のひとつで、1500年代後半から明治時代(1868~1912)まで採掘が行われ、掘り広げられました。その名は、江戸幕府より石見銀山の監督を任じられた初代銀山奉行の大久保長安に由来しているともいわれます。

主坑道は場所によっては高さ5メートルにも達し、そこからより小さな坑道が複数分岐しています。これらは銀の鉱脈に沿って掘られており、今でもその痕跡が壁の至る所に確認できます。また、立坑もあり、鉱石の搬出や地下水を外に排出するために使用されました。坑道の壁の滑らかな部分は、江戸時代に、のみと金槌によって形作られたものです。明治時代にはトロッコを使うために掘り広げられ、壁には、その荒々しい掘削技術の痕跡も残されています。さらにトロッコのレールの枕木が今も地面に確認できます。

4月から11月までの週末と祝日などで大久保間歩のガイド付きツアーとして公開し、冬季は、坑道がコウモリの冬眠場所となり、その保護のため休場しています。