石見銀山の価値

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新切間歩

石見銀山の歴史を通じて、鉱夫たちにとっての最大の課題の一つは、湧き出す水の処理でした。坑道が長く深くなるにつれ、地下水のたまり場に突き当たって出水が起きることは避けられず、これが鉱石の取り出しを妨げていました。1700年初頭頃になると地下水の問題は大変深刻となり、代官所は、鉱山経営を維持するための対策を必要としていました。その解決策となったのが、既存の採掘地よりも低いところに新たな坑道を平行に二つ掘ることでした。水は、接続して掘られたうちの排水用の坑道を通じて流れ落ち、川へと放水されます。新切(「新しく切る」の意。坑道が山麓に水平方向に切り開かれているため。)と呼ばれるこの独創的な試みは、幕府からの貸付によって資金調達され、1720年代に完了しました。

 

新切のこの試みは成功しました。排水システムにより、既存の坑道でもより効率的な採掘が可能になりました。鉱脈は新切間歩内でも発見され、坑道の一つは採鉱が行われるようになり、もう一つの坑道は排水と換気の機能を果たすようになります。その結果、限られた期間ではあったものの、石見銀山での銀の生産量は大幅に増加します。新切間歩は、その後1世紀以上にわたり、ほぼ手付かずの状態で残されていますが、今でも坑内の水を銀山川へと排水しており、当時の優れた土木技術を今に伝えています。