石見銀山の価値

銀鉱山エリア

大森町並みエリア

街道・山城エリア

港と港町エリア

大森町並みエリア

シェア:

町並み交流センター(旧裁判所)

大森町は、1600年代初頭以降、石見銀山の行政と商業の中心地として、石見銀山とその周辺地域を治めた代官所を中心に発展していました。江戸幕府は1867年、明治維新により終焉し、大森は新政府の下で、これまでの特別な地位を失うという大きな変化がもたらされ、他の地方と同様に地方行政の中心地となりました。新政府によって警察署、税務署や郵便局が置かれるようになり、立憲制度が発足した1890年には裁判所が設置されました。

19世紀後半に日本に持ち込まれた西洋建築の影響を受けた大森区裁判所は、1888年に竣工しました。大森町と、その近隣の49の村を管轄し、第二次世界大戦末期まで運用されていました。その後、1980年代後半までは公民館として利用されていましたが、歴史ある大森の町並みの価値が認識されるようになり、この旧裁判所は、保存の取り組みを紹介するための施設として、部分的に展示施設に改装されました。展示物には、大森の民家の復元模型や、復元過程を記した資料に加え、明治時代の法廷の様子を再現しており、この建物の過去を偲ばせます。中央の裁判官席に座っているのは裁判官で、その傍らには筆記者がいます。裁判官の右の空席は検察官の席で、下の空席の机には被告人と弁護人が座ったのでした。このように、裁判官と検察官が隣り合わせに座り、被告人を見下ろすという事実的な対等の立場であることは、第二次世界大戦末期までの日本の裁判では当たり前のことでした。