石見銀山の価値

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本谷口番所跡

江戸幕府が17世紀初期に石見銀山を直接管理するようになると、銀山の周りには柵が設けられ、すべての出入口には番所が建てられました。これらは、銀山へと持ち込まれる品物への税金徴収や、銀の持ち出を防ぐ役割を担っていました。仙ノ山を中心とした採掘地域の周りには10カ所ほどの番所がありました。また、幕府が直接管理した150ほどの近隣の村からなる銀山御料という一帯にはさらに多くの番所がありました。

本谷口では18世紀後期まで石見銀山における主要な採掘場の一つであった本谷への出入り口を監視していました。石見銀山で最も多く鉱石が取れた坑道や立坑のいくつかが本谷にあり、多くの鉱山労働者やその家族たちがその地域に暮らしていました。このことにより、本谷口と、その近くにある水落口という二つで対となる番所は石見銀山の主要な地点となりました。番所の建物は一切残っていませんが、道端にある小さな平坦地がその場所を示しています。