石見銀山の価値

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本谷集落跡

今では木々が生い茂り、静かな場所となっている本谷は、16世紀後半から18世紀後期にかけて石見銀山における最も重要な採掘の中心地の一つでした。大きな集落が谷の一帯に広がっていて、銀生産も行われていた家々が、平坦で階段状になった土地の上に建てられていました。

谷の入り口から登っていくと、鉱石の搬出と地下水を排出するために掘られた全長800メートルの金生坑があります。さらに谷奥へ行くと、数々の坑道と立坑からなる石見銀山で最も巨大な採掘網である大久保間歩があります。そこから谷を登っていくと、両側の崖斜面に直接掘った狭い坑道や遺跡が点在しています。この場所は銀の鉱脈が地表の近くにあったからです。こうした場所のほとんどは自然の草や木に覆われてしまい、見つけるのが難しくなっています。しかし、17世紀初期に石見銀山の銀の産出量を飛躍的に増加させた釜屋間歩の周囲では、そうした遺跡のいくつかが発掘調査によってあらわにされています。階段状になった土地を補強するために造られた石積みもこの場所で見ることができます。さらに上の方へ進んでいくと、地域で最も豊富な銀の鉱脈に掘られた本間歩の入口があります。この場所から、仙ノ山の頂上と17世紀におけるもうひとつの主要な集落であった石銀へと上っていくにつれて、谷の幅が狭くなっていきます。本間歩から石銀までの道のりは、往時のままであり、通行するのが困難な場合もあるので、訪れる際は注意が必要です。