石見銀山の価値

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栃畑谷集落跡

栃畑谷は石見銀山で最も古い鉱山労働者たちの共同体の一つがあった場所です。遡ること16世紀の中頃までには出来た栃畑谷の集落は、石見銀山が16世紀後期と17世紀初期に栄えるのに伴って拡大し、少なくとも江戸時代の中ごろまでは多くの人々が暮らしていました。鉱山労働者とその家族たちは平坦で階段状になった土地の上に建てられた家々に暮らし、数多くあったと江戸時代の記録が伝えているお寺にお参りしていたことでしょう。家やお寺の建物は一切残っていませんが、台地を補強するために建てられた石垣は今もとどめられ、斜面にはいくつかの坑道の穴が残っています。

 

早くから人々が定住していただけでなく、栃畑谷は石見銀山での国際的な場所であったことも注目に値します。集落に関する記録に登場する大陸からの居住者たちは、日本へと製錬技術の知識を伝える手助けをした技術顧問だったかもしれません。こうした技術の一つが、朝鮮半島から1533年に石見銀山へと伝えられた、銀を精錬する灰吹法です。この年は石見銀山の歴史におけるターニングポイントとみなされています。石見銀山を有名にし、16世紀中期以降の世界経済へと貢献した、高純度の銀を大量に生産することを可能にしたのが灰吹法だったからです。