石見銀山の価値

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栄泉寺

曹洞宗の禅寺である栄泉寺は、大森の通りの西に位置する丘の中腹から大森町の中心部を見下ろしています。1596年に建立されたこの寺には、1732年に石見銀山を災害から救ったという有名な人物の逸話が残っています。害虫が西日本各地の農作物を荒廃させ、大飢饉を引き起こしたその年。代官の井戸平左衛門(1672–1733)は、上官の許可を待たずに、手元の備蓄米を使って民衆を救いました。彼は、米で納めることになっていた地元の村からの税金の支払いを免除しました。伝説では、井戸の施策で石見銀山では餓死者を一人も出さずにすみ、彼のリーダーシップは広く賞賛されたといわれています。そのことにあわせ彼の功績として知られているのは救荒作物を導入したことでした。井戸はこの寺で旅の僧侶からサツマイモの話を聞き、自分の管理下の土地全体にサツマイモを植えたといいます。その後広く栽培されるようになったことから、井戸は「芋代官」と呼ばれています。僧侶が井戸にサツマイモの話しを伝えたとされるこの栄泉寺は、1800年に大森の大部分を焼失した火事で全焼しました。本堂は7年後に再建され、1853年には壮大な山門が建立されました。この山門の構造が、将軍徳川家光の霊廟の門に似ているとの意見があり、代官所で論争を引き起こしました。栄泉寺は門を解体するよう命じられましたが、当時住職が不在であったためすぐには執行できませんでした。そうこうするうちに、1867年に江戸幕府が倒れ、現在も山門は寺院の入り口に立っています。