石見銀山の価値

銀鉱山エリア

大森町並みエリア

街道・山城エリア

港と港町エリア

大森町並みエリア

シェア:

河島家住宅

江戸時代に大森で栄えた武家の一つに数えられる河島家は、石見銀山の鉱夫の監督を担当する役人でした。この地方で幕府の命を奉じた奉行に召し抱えられた河島家は、1610(慶長15)年から1867(慶応3)年の幕末までこの地位に就きました。1800(寛政12)年に大森の大部分が火事で焼失した直後に建てられた邸宅は、河島家の影響力を示しています。1825(文政8)年に現在の外観になるまでの間に、蔵や別棟が増築されています。

現在一般に公開されているこの邸宅は、美術品、食器、調理器具その他の品々が飾られており、武家の一家の暮らしぶりを伝えています。邸宅の正面に立つと、入口が二つあることがわかります。左側の小さな入口は住人用で、右側の大きな入口(式台)は座敷につながっています。この座敷は庭園に面しており、奉行など、要人を迎える際にしか式台が開かれることはありませんでした。庭に向かう縁側に座っていると、かつてここで交わされた厳粛な会話を想像できるでしょう。