石見銀山の価値

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石銀千畳敷集落跡

17世紀初期に、仙ノ山の山頂近くにあった比較的平坦で、階段状になった広々とした土地には、石銀、石銀藤田、石銀千畳敷などといったいくつかの集落がありました。石見銀山が最も繁栄した時期に人々が暮らしていたこれらの集落は、もう一つの重要な採掘拠点だった本谷への斜面を下る道をその中心としています。今も名残をとどめるこの道は、1990年代に行われた発掘調査で、幅が2メートル、両側には数々の建物が並んでいたことがうかがえました。そこには精錬の跡、坑道の跡や、余った鉱石も見つかったのです。こうした考古学的物証が示すのは、鉱山労働者とその家族たちはこの場所で近くの坑道から採れた銀の鉱石を選鉱し、溶解し、精錬しながら、生活と労働の両方を行っていたことです。作業場としての役割も果たしていた彼らの家々には火事の防止のために土壁が使われていました。また、この場所での生活にとって欠かせない新鮮な水は近くの井戸から運ばれていました。かつて大きな共同体があった千畳敷(「千枚の畳」を意味する千畳敷の名前もその広がりを示唆しています)には、建物は一切残っていませんが、丘の斜面沿いにはいくつかの坑道の穴が見られます。坑道はのみと槌だけを使って掘られており、必要な時間と労力をかけて出来上がった穴は鉱山労働者ひとりがなんとか通れるほどの大きさとなっています。