石見銀山の価値

銀鉱山エリア

大森町並みエリア

街道・山城エリア

港と港町エリア

銀鉱山エリア

シェア:

石銀集落跡

石見銀山では仙ノ山の周辺の採掘が16世紀中頃より拡大していきました。その山の頂上付近には、比較的平坦で、背丈の低い草に覆われた、階段状の広々とした土地があります。ここは石見銀山が最も繁栄した17世紀初期、鉱山労働者などによる主要な集落があった石銀という場所です。石銀の集落のメインストリートは、部分的に再現されていて、道幅が2メートルほどあり、両側には数々の建物が並んでいます。この道はもう一つの重要な採掘拠点だった本谷へとつながっています。

石銀では、残された坑道と、砕かれた鉱石、製錬のための建物跡、そして、ここから発掘されたその他の品々からも分かるように、鉱山労働者とその家族たちが、家々の中で、近くの坑道から採れた銀の鉱石を選鉱し、溶解し、精錬しながら、生活と労働の両方を行っていたのです。家々には土壁が使われ、その基礎部分が見つかっています。また、この場所での生活に欠かせない新鮮な水は山頂付近でありながら湧いた井戸の水が使われていました。

 

鉱山労働者の家と作業場の建物基礎は、石銀集落跡の中心地の近くの坑道の前に部分的に復元されています。1990年代に行われたこの集落跡の発掘で、石見銀山の歴史における最も重要な考古学的発見の一つがありました。灰吹法による銀精錬に利用された16世紀の鉄鍋が見つかったのです。当時、高品質の銀を生産するための鍵となったこの技術は1533年に朝鮮半島から石見銀山にもたらされたと歴史書では伝えられていました。石銀集落跡で見つかった鉄鍋は、灰吹法と石見銀山とを結び付ける物的証拠の一つとなったのです。

 

石銀集落跡の発掘は石見銀山の鉱山労働者らによる共同体の構造を解明する手助けともなりました。銀生産は、家族単位でそれぞれの家族が一緒になって行っていた仕事だったようです。集落跡での出土品の一つに女性の髪の房を結んで作ったお守りがあります。おそらく、妻が採掘場での安全のために夫に渡した幸運のお守りだったのでしょう。