石見銀山の価値

銀鉱山エリア

大森町並みエリア

街道・山城エリア

港と港町エリア

銀鉱山エリア

シェア:

福神山間歩

福神山間歩は、取り出された銀の量では、石見銀山で最も有力な坑道の一つです。間歩は三つの坑道で構成され、2本は連結していて、銀山川の下を通って鉱山の中心地である仙ノ山へと続き、そのすぐ上を1本の排気坑が通っています。福神山間歩は、石見銀山で唯一、年間を通して公開されている龍源寺間歩へ至る道沿いに位置しています。中に入ることはできないものの、注目される間歩です。それは、1700年代に生産量が減少し始めてから、銀山の所有と管理体制がどのように変化したかを知ることができるからです。

 

この坑道は、山師によって掘られました。山師は場所を決め、鉱山を管理する代官所から採掘の許可を得て、開発のための資金調達は自分で行いました。代官に対して、求められた量の銀を上納する能力を証明すると、坑道に対する財産権が付与されます。この仕組みは、銀山が繁栄し、管理に相当な投資が必要であるにもかかわらず、坑道の所有者が利益を上げることができた1600年代において一般的でした。ところが、1700年代までには、到達可能な銀鉱床がほぼ枯渇し、採算性は低下します。そのため、福神山間歩を含め、まだ採算性があると考えられた坑道の多くは、公金を使って代官所が取得して、経営資金を投入したのです。この鉱山の部分的な「国営化」は、銀の生産量増加を目的とするさまざまな試みと併せて実施されましたが、結局は石見銀山のかつての繁栄を取り戻すことはできませんでした。