石見銀山の価値

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豊栄神社

1562(永禄5)年、石見銀山を領有した毛利元就は、銀山を手中に収めたことを示すために、銀山川近くの傾斜地に寺院を建てました。勝利を収めた元就は、寺院の本堂内に自分自身の木製の像も設置しました。1866(慶応2)年、薩摩の部隊とともに、毛利氏の末裔が追放されていた長州(現在の山口県北部)の部隊がこの地に進軍しました。長州の隊士は、寺院の中に伝説の君主の像を発見して、驚くとともに歓喜しました。

長州の隊士は、同じ場所に、神道を育むという新政府の政策に従って、寺院を廃して神社を建てました。

その後、このあたり一帯は、1943(昭和18)年の水害で発生した土砂に一部が巻き込まれましたが、華麗な門と独特な拝殿、本殿は今でも残っています。当初の元就像は残念ながらもう存在しませんが、瓦には毛利家の家紋が配されています。