石見銀山の価値

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辻が花染丁子文道服

ここに展示されているような装飾的な衣装は、16世紀から17世紀にかけて、裕福で影響力のある領主から配下に、手柄の褒美として贈られることが多くありました。この道服は、黄色の絹地に木綿の裏地を施し、絞り染めの赤の横線3本に鋸歯状の縁取りが施されています。赤い線の中で、どちらも白地に黄緑色の六角四弁菱形花の文様が桔梗文様と交互に施されています。黄色の部分には、紫、白、黄色の色合いの大きなクローブ模様が施されています。染色技術は当時の職人技の最高峰であり、絹や色染料をふんだんに使用していることから、相当な費用をかけて制作されたことがうかがえます。

この道服は、徳川家康から、安原伝兵衛という名の山師(鉱山経営者)への贈り物でした。1603年、石見銀山の安原が開いた坑道から13.5トンの銀が産出され、幕府に献上されました。その貢献が大きかったために将軍が謁見し、その際にこの道服が贈られました。石見銀山をはじめとする各地の鉱山の貴金属生産量に財政が左右されていた政権にとって、この道服は、銀山の重要性を思い起こさせてくれます。ここに展示されている道服は複製で、実物は国の重要文化財に指定されており、京都国立博物館が所蔵しています。