石見銀山の価値

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金森家

幕府が石見銀山を直接管理し、行政官に監督させていた江戸時代、郷宿は社会システムの一部でした。行政官は、鉱山そのものだけでなく、150ほどの村々を含むその周辺の土地も管理していました。こうした村々の住民は、代官所で公務を行うために大森の町へ出かける必要がありました。このため1700年代の半ばには郷宿のシステムが確立し、このシステムの元で村々は六つのグループに分けられました。各グループが一つの郷宿を割り当てられ、村々からやってきた人々が大森に滞在中はそこに宿泊しなければなりませんでした。代官が大森の豪商らにこの業務を請け負わせ、この郷宿は代官所から出された法令等を各村々に伝達する役目も負いました。金森家住宅は、六つの郷宿の一つで、1850年に建てられました。この建物は広々とした2階が特徴的で、多くの客を宿泊させることができるばかりか、小さな茶室までありました。この家は造り酒屋や、奉行所からお金を借りるために大森へやってくる人々の宿としても使われたため、広いスペースが必要とされたのです。金森家は個人の住宅で一般公開されていません。