石見銀山の価値

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釜屋間歩と周辺の岩盤加工遺構

釜屋間歩は、石見銀山の歴史上、最高のサクセスストーリーのひとつが生まれたところです。この坑道は、1602年に安原伝兵衛という山師により開発が進められ、すぐに豊かな銀鉱脈が発見されます。その翌年、釜屋間歩から13.5トンという驚くべき量の銀が江戸幕府に納められたことから、安原は徳川家康への謁見を許可され、「備中」という称号と華麗な道服と扇子を授かりました。道服は、安原が銀鉱脈を発見する前に祈願を行った清水寺に奉納され、現在は国の重要文化財に指定されています。石見銀山世界遺産センターには、道服の精緻な複製品が展示されています。

 

釜屋間歩の近くでは、1600年代初頭の採掘跡が複数見つかっています。この地域の銀鉱脈は地表に近い場所からあり、ところどころに、丘の斜面を直接掘った跡が残っています。

また、建物を建てるためのスペースを作るため、崖が平らに掘削されています。その付近では雨水を集めるために岩に溝や穴が掘られています。それは、鉱石をより分け銀分の多い小片を効率的に集める作業に水が必要であったからです。発掘調査で見つかった銀製錬の副産物である銀鉛合金「貴鉛」とともに、釜屋間歩とその周辺は、安原伝兵衛の時代と、最後の坑道群が掘られた明治時代に、谷の両側で大規模な採掘が行われたことを示しています。