石見銀山の価値

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阿部家

阿部家住宅は大森で最も大きな武家屋敷の一つで、1800年に町の多くを焼失させた火事を逃れた、まれな建築物です。1601年以来銀山の経営に深くかかわり、裕福で影響力の強かった阿部家が1789年に建てました。初代銀山奉行の大久保長安(1545~1613年)が、甲斐の国(現在の山梨県)にいた阿部清兵衛を大森奉行所の石見銀山を管理する仕事に招き、清兵衛の子孫がこの役職で働き続け、会計から新切間歩の管理までこなしました。新切間歩は1720年代にすでにあった坑道や坑口に地下水が流れ込む問題を解決するため掘られたものです。

 

阿部家住宅は、前庭、桟瓦葺(権威の象徴として武家に好まれました)、二つの出入り口など、位の高い武士にふさわしい家としての典型的な特徴をすべて備えています。左手にある小さいほうの入口は住人用、右手にある大きいほうの入口は畳敷きの二間に続いており、大事な客人のためだけに開かれました。オリジナルの門はその後ろの建物とともに、副収入を得るために貸し出され、1950年に取り除かれました。阿部家住宅は現在、群言堂が経営する宿泊施設として使われており、近隣にある江戸時代の農家にはショップ、カフェ、ギャラリーなどが入っています。