石見銀山の価値

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沖泊

石見銀山の歴史において沖泊は、銀山から国内外へと銀を出荷するための港として鞆ケ浦の次に用いられた港でした。1562(永禄5)年に毛利氏がこの地を完全に支配すると、毛利氏は石見銀山から日本海へと新たな道を開きました。この道の終着点であった沖泊は、商業港と海軍基地という2つの機能を果たしました。

1570(元亀元)年、毛利氏が港の入口に砦を築き、道の終点地帯に沿って特徴的な長方形の土地区画の町ができました。

17世紀初頭に石見銀山が江戸幕府の支配下に入ると、銀の輸送は、陸路で尾道へ、そこから大阪へ、さらに都へと運ばれるようになりました。しかし、沖泊の歴史的な雰囲気はほとんど変わることがありませんでした。16世紀につくられたこの町の区画は、そのまま残されており、人々が海上の安全を祈願する神社が近年修理されました。港の端まで歩くと、かつては砦であった島を見渡すことができます。また、銀船の係留装置として用いられた60個余りの「鼻ぐり岩」を目にすることができます。