石見銀山の価値

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熊谷家住宅

熊谷家は何世紀もの間、大森で影響力のある家柄でした。徳川幕府による銀山の支配がはじまった1600年代初頭から勢力を拡大し始めました。

熊谷家は、当初は鉱山業で財を成しましたが、後には地域の奉行所(後に代官所)の財政や契約業務など幅広い分野に事業を拡大しました。少なくとも1718(享保3)年からは 「掛屋」 と呼ばれており、銀の重量を量り、純度を測定し、粗悪品が見つかった採掘者から集金を行う役目を負っていました。この役目は幕府の徴税活動の重要部分であったため、熊谷家はその働きに対しかなりの報酬を得ました。また、熊谷家の当主は、奉行と住民との仲介役を担う町年寄に就きました。町役人がしばしば会合を開いた熊谷家の邸宅は、大森町の大部分が火事で焼失した翌年の1801(享和元)年に再建された二階建ての家屋でした。20世紀末まで住宅として使用されたのち、最後の蔵が完成した1868(明治元)年当時の外観を復元するために改修された熊谷家住宅は、石見銀山が栄えた時代の富裕な商家の暮らしぶりを今も伝えています。要人を迎えるための座敷を始め、多くの部屋が見学者に開放されています。