石見銀山の価値

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矢滝城跡

矢滝城は、16世紀に石見銀山と物資の主な供給源であった温泉津港を結ぶ道を防御するために築かれた二つの山城のうちのひとつです。この山城は、1528年、当時この地を支配していた戦国大名、大内義興(1477–1529)がこの道の南側の高台となる山上に築城したと伝わります。海抜634メートルの細長い山頂の全体を占め、その周囲には石垣や堀切などが築かれていました。頂上の北端に築かれた矢滝城の円形の主郭からは、道路と、反対側の矢筈城を何にも遮られることなく眺めることができました。

 

武家間の同盟や対立が絶えなかった1500年代には、石見銀山を巡って戦国大名たちが争ったために何度もその支配者が変わりましたが、1600年代初頭に石見銀山が江戸幕府に支配されてからはその重要性がなくなってしまいました。その後、長期間続いた平和な時代により、矢滝城をはじめとする中世城郭が徐々に廃城となっていきました。矢滝城の遺構は、第二次世界大戦後、米軍のレーダー基地(後に放送送信施設に置き換わった)用の敷地を確保するために山頂の平坦な部分が拡張されたことなどのため、その名残はわずかです。山頂へは登山道で1時間程度かかります。