石見銀山の価値

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矢筈城跡

矢筈城は、16世紀に石見銀山と物資の主な供給源であった温泉津港とを結ぶ道を防御するために築かれた二つの山城のうちのひとつです。この城は、道の北側、海抜480mの高台となる山上にあり、おそらく戦国大名が率いる大内氏が支配していた1520年代後半から1530年代前半に築かれたものでしょう。矢筈城は、その対をなす矢滝城よりも小さく、狭い山頂の尾根に沿って石垣や堀切、土塁が築かれ、その南側から道を見下ろしていました。戦国大名の同盟や対立が絶えなかった1500年代には、石見銀山を巡って争ったために何度もその持ち主が変わりましたが、1600年代初頭に石見銀山が江戸幕府に支配されてからはその重要性がなくなってしまいました。その後、長期間続いた平和な時代により、矢筈城をはじめとする中世城郭が徐々に廃城となっていきました。矢筈城がかつてあった頂上は自然に戻り、今、砦の名残を地形にみることができます。