石見銀山の価値

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石見城跡

石見城は、1500年代に石見銀山とその北西にある海に面した仁万平野とをつなぐ道の防御に使われていた高台の砦でした。仁万平野は、1520年代後半から鉱山の支配権を巡って対立する一族と戦ってきた大内氏が支配していました。石見城が造られた竜嵓山は、海抜153mの岩が露頭した丘で、南と東にある急峻な崖により天然の要害となっています。これらの方角には、狭い頂にあった主郭を防御するために尾根に沿って深い堀切を掘り、複数の土塁を築いています。傾斜の緩やかな北側に入り口があり、主に南側から接近してくる敵を防御するために設けられたことも想定できます。石見銀山が1600年代初頭に江戸幕府に占領されてからはこの城の重要性がなくなりました。今では自然に返っているその城址には、南麓からの登山道で登ることができます。秋には崖に沿って蔦を伸ばすノウゼンカズラ(学名:Campsis grandiflora)が丘の中腹の一部を鮮やかなオレンジ色に染める花を咲かせます。