石見銀山の価値

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清水谷製錬所跡

清水谷製錬所跡は、19世紀後半にここで再開されようとしていた銀生産が失敗に終わったことを物語っています。1886(明治19)年に大阪の藤田組が石見銀山の再開発に着手したときには、この鉱山はすでに休眠状態となっていました。

しかし藤田組は多額の投資を行い、既存の坑道を拡張して大量の鉱石を掘り出すためにダイナマイトを使用するなど、近代的な採掘設備と製錬方法を導入し、1895(明治28)年に清水谷に新しい製錬所が開設されました。

しかし、それまで350年余りにわたって採掘されてきた石見銀山の銀鉱床はすでに枯渇しており、鉱石の質が予想よりも低いものであることがわかりました。最終的に清水谷製錬所はわずか一年半の操業の後、閉鎖されました。

その後、清水谷製錬所の跡地は、変電所へと姿を変えましたが、その後の様子についてはほとんど知られていません。今でも残る基礎部分が、かつてこの施設が堂々たる規模であったことを示しています。