石見銀山の価値

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龍源寺間歩

江戸時代中期、代官所直営の間歩(御直山)として操業された。

昭和63年の発掘調査で坑口付近の建物、鉱脈探査の試掘跡などが発見されている。

平成元年に栃畑谷へ通り抜けられるようになり、坑道内部が見学できる。

この坑道は1715(正徳5)年には掘られ、江戸幕府から任命された代官の管理下に置かれ、採掘された銀は、徳川幕府にとって直接の収入源となりました。

銀山の内部には、主坑道から枝分かれする複数の小さな坑道があります。これらは山の鉱脈を辿るように掘られたもので、その跡は壁のあちこちで今でも見ることができます。

また、これらの坑道は、ノミと金づちだけで掘られており、手間と時間のかかる作業であったことが想像できます。

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