大久保間歩紹介

火山活動が起こした偶然による“幸運な鉱山”

自然との共生 石見銀山のシュトレン

仙ノ山:銀の火山

石見銀山が世界有数の生産量を誇る銀鉱山になったのは、1500年代半ば以降、銀山の中心となった仙ノ山という古代の火山の特徴的な地質のおかげといっても過言ではないだろう。150万年前の噴火により、火口周辺に高温の火山灰と溶岩の塊など火山砕屑物が堆積し、円錐形の山が形成されはじめたのである。その結果、新しくできた山は巨大な砂山のようにもろいものだった。

山の下では火山活動が続き、マグマが地下水を温めて、地下深くの高圧状態のため、200℃以上の温度を持ちながら沸騰しない液体である「熱水」となった。この熱水の熱によって、近くの岩石やマグマから銀や銅などの成分が放出された。こうした鉱物を含む液体は岩盤の割れ目から上方に浸透し、多孔質の仙ノ山に噴出し、山中に銀を運び込んだのである。液体は温度と圧力の変化で冷え固まり、粗い岩盤の中に無数の銀鉱脈が残されることになった。

1500年代に仙ノ山で採掘を始めた探鉱者たちは、発見した銀脈の多くが地表に近い位置にあることに気づいた。これは、もろい岩盤の中を広い範囲で熱水が染み込んだためで、火薬が使われる前の時代にはノミやハンマーで山肌を掘っても比較的容易に掘削することができた。

大久保間歩:過去への扉

石見銀山最大の坑道である大久保間歩は、1500年代後半に採掘が始まり、1896年まで続けられた。山中の特殊な環境から300年の歴史の痕跡がそのまま残っている。

大久保間歩は当初ノミやハンマーで掘られ、その跡が本坑の壁面の滑らかな部分に残っている。また、1800年代後半にトロッコ用に拡張された坑道には、より荒々しい掘削方法の跡も確認できる。1896年の採掘終了後、トロッコ用のレールは撤去されたが、この時のレールの枕木が残っているところもある。また、一定間隔で地面にくぼみがあり、そこにさらに枕木が横たわっていたことも確認できる。

坑道内の枕木の1本には、レールを切り離した後、木部に残された1対のレールスパイクが残っている。これは19世紀に作られた「犬釘」で、上部が犬の頭に似ていることからこの名がついた。この釘は、鉱山坑道内で100年
以上もそのままの形で残っている、日本で唯一のものであることが知られている。

坑道は湿潤な環境であるため、犬釘は錆びず、枕木は腐らない。もろい岩盤から絶え間なく水が滲み出ており、坑道の床を濡らし、レールの残骸が空気と触れ合うのを防いでいる。また、石見銀山の歴史が始まって以来、
その水がほとんど重金属を含まない(飲用に適した純度の水である)ことも重要な要素だ。

4月から11月の金・土・日・祝日に開催されるガイドツアーでは、大久保間歩のこうした特徴を見学することが
できる。クリスマス前の数カ月間、大久保間歩では地元のパン屋さんが果物やナッツを加えて焼く、甘いイーストパンの一種であるシュトレンを熟成させている。シュトレンはドイツの伝統的なクリスマス料理だが、近年は地元の名物の一つとなっている。